教員を辞めてもできる仕事とは…

これまで、教員時代から退職、その後の試験までをまとめて来ました。詳しくは前の記事をご覧ください🙇

さて、教員を退職後、再度、採用試験を受験し、「なぜ、辞めたのか」と面接官に問いただされ、撃沈しました。
とにかく、落ち込みました。だって何が来ても良いように準備に準備を重ねたから。
落ちたら地獄と思ってました。だって生活が出来ないから。

実は試験の結果は職場の人にお願いして、別室で見させてもらいました。予定時刻を過ぎても戻ってこない自分を心配し、上司が声をかけてくれました。

「教員だけが全てじゃないよ」

本当にそうだと思います。


これは教員を今まさに辞めたけど、どうしようか悩んでいる方。
これから、辞めるかもしれない方。
教員を目指される学生の方。

色々な立場の方がいますが、きょういくがくぶを出るとどうしても教員に成りたくなる。というか、そのために教育学部に来た人が殆どだから。

ただ、一つ言えることは、教員だけが全てじゃない。


その言葉に何度励まされたか、分かりません。だって道が開けたから。

でわ、どんな仕事があるのか紹介します😉


①塾、予備校講師
まず、教えるという流れでいけばまずは、これではないでしょうか?分かりやすい流れだと思います。

②放課後等デイサービス
これは自分が経験していたものです。障害のあるお子さんを放課後預かり支援をします。主に支援員からスタートして、年数を満たせばサービス管理責任者になれます。

③学童職員
小学校の下校後に宿題や、一緒に遊んだりします。教員免許を持っていると児童指導員となるため、学童でも働くことができます。

児童養護施設職員
何らかの理由で家族と離れ生活をしている子どもたちの生活全般の支援をします。ご飯の準備や、寝かしつけ、学校への送り出しや、子どもの指導など本当に多岐に渡ります。辛い経験をしてきた子どもだからこそ、言われもないことも言われるなともありますが、退所するときは「今までありがとう」と涙ながらに感謝される仕事でもあります。

⑤児童心理治療施設
以前は情緒短期治療施設と呼ばれてました。主に都道府県に1つあるか、ないかといった具合です。具体的には児童養護施設に理由があっていられない子(児童養護施設職員でさえ、暴力や愚犯がひどく手がつけられない)、または親からの相当なレベルの虐待を受けてきた、また家庭で親を殴るなどの暴力により、一時保護所から措置されて来る場合があります。ヘビーなケースが多いため、児童養護施設よりも心理士が多く配置され、生活支援員と心理士がはっきりと業務内容が分かれている施設もあります。それでも常に応用力が求めれる場合が多いですが、チームで対応する楽しさや、少しでも成長した姿にやりがいを得られる仕事でもあります。

以上、教員免許があって、教員以外でいかせる仕事についてまとめてきました。
ただ、上記のものはあくまでも子どもにか関わる仕事です。別に子どもと関わらなくても良いと割りきることができれば、洗濯の幅は更に広がると思います☀️

今、この先の進むべき道に迷っている方のお役にたてたらと思います🙆

いよいよ採用試験がスタート!

さて、数ヶ月の試験勉強も終わり、いよいよ教員採用がスタートする。まずは筆記を中心とした一次試験……猛烈に勉強したかいもあり……


合格!!👍


さて、問題は2次試験である。
ピアノや模擬授業に加え、討論や面接がある。いわば、常に応用力が試されている。
その中でも一番比重が思いのが、やはり面接だ。何といっても様々な人を見てきた採用官であるだけに
相手顔色から自分の言葉で言っているかどうかを分かってしまうのであろう。。

自分もあらゆる、問答に対して準備を進めてきた。ただ実際の面接は違った。

「どうして、小学校の先生をお辞めになったのですか?」という質問がほぼしめた。
それはそうだろう。だって経歴としてはおかしいから。

口が避けてもうつで辞めたとは言えない。

しどろもどろのまま、終わってしまった。

結果……不合格。

祈られた。というやつだ。

試験に落ちたというショックとともに、これからお金がないなかで、どうやって生活をすればいいんだ……という思いが止まらなかった。

明日が怖い。また振り出しに戻った。と落ち込んだ。

無職からスタートしてみた④

「あの……○○先生ですか??」緊張しながらも、自分が前に進むため、自分という物語を進めるためにも勇気をもって言葉を発した。

「あー久しぶりです!覚えてますよ✨○○君ですよね?いやー懐かしいですね」すぐに満面の笑みで返してくれた。
「今、○○の放課後等デイサービスで働いているんです。○○さんから、先生がこちらで働いていると聞いて、お迎えの時に会えないかなと思って……」

「そうだったんですか。声をかけてくれてありがとうございます。」

そんな会話から教頭先生に写真を撮ってもらった(おい!(゜ロ゜;💨)実に17年ぶりの再開だった。

それから、お互いに電話番号を交換し、食事などにちょくちょく行くようになった。

食事をしながら昔のこと、今の自分が置かれている状況、これからの事など沢山話した。教員採用試験の対策として、特別支援に関する知識も色々教えてくれた。本当に有り難かった。

先生と話す中で、一番感じたことは、

「教えることは気持ちだけじゃない。そこには明確なロジック、理論があるということ」である。
言ってしまえば、特別支援教育において、視覚支援、ティーチ、構造化、見通しの付け方、応用行動分析、チェイニングの組み方など、沢山のテクニックが存在する。

それらを目の前の子どもに一番合ったやり方を考え、あてはめていく。

正直、普通学級を持っている時に気持ちだけで勝負していた自分が恥ずかしくなった。論点はそこじゃない。支援するプロとして何が大切なのかを一から教えてもらった。それは子どもに対する考え方として今でも生きている。

「どうすれば、伝わるのか」。それは自分の性格の問題ではなくて、テクニックの問題だから凹む必要はないのである。

本当に救われたような気持ちになった。

先生との対話を通して、子どもという人間をどのように見るのか、いわば子ども観を鍛えてもらった。

次回に続く~!

無職からスタートしてみた③

教員採用試験は夏に行われる。それに向け、勉強に励んでいた。

そんなある日…

いつも通り仕事に向かい、予定を確認する。その日、恩師が働く特別支援学校に迎えに行くスタッフが休みになり、急遽、自分が行くことになる。

学校に到着し、子どもと先生、他の福祉施設職員が入り乱れる。足早に来るままで移動する子、連絡事項を伝える先生の姿がある。

そんな中……

「あ、いたかも……あれかな。」眼鏡をかけ、颯爽と歩くあの日の先生がいた。

緊張で手が震える、鼓動も早くなるのを感じた。一緒に迎えに行ったスタッフに声を掛ける。
「すいません。関係ないんですが、あそこの先生が小学校の時の担任の先生で……少し話してきていいですか?」
聞かれたスタッフは驚いて、どうぞと言ってくれた。

「あの……○○先生ですか?○○小学校の時に教えてもらった○○です!」
思いきって声を掛けてみた。数コンマの間がとても長く感じた。

無職からスタートしてみた②

恩師が某市の特別支援学校で働いているという情報を聞き、近づく方法を考えた。
元々、教員を辞める際に特別支援学級の先生から「特別支援を目指しても良いんじゃない?」と勧めれ興味はあった。

特別支援学校について、調べる中で放課後等デイサービスという存在を知る。学校が終わる時間に学校にお迎えに行き、保護者が迎えに来る18時頃まで預かり支援をする事業である。

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「これだ!これなら、出会えるかもしれない。そして、特別支援学校の教員を目指してみよう!」

まずは某市の放課後等デイサービスを探し、勉強も兼ねてボランティアからスタートすることにした。
また同時に特別支援学校の講師の応募もしておいた。ボランティアだけでは食べていけないから。

ただ、講師の話も甘くはない。待てども、待てども連絡はなし。結局、ボランティアからアルバイトをさせて下さいとお願いし、朝から晩まで毎日、アルバイトをする日々が続いた。また某県の特別支援学校の教員採用試験を受験するべく、仕事後に勉強をする日々となる。

そんな、ある日……。

無職からスタートしてみた

サバンナの夜明けを見てから、これからどうやって生きていくか、考え出した。
結論としては、「人と接する仕事はしたくない」ということ。とりあえず、派遣会社にエントリーし日雇いの仕事を始めた。

まず、派遣会社の登録面接に行く。周りは高校卒業したばかりの若者。この中にアラサーの自分1人。
「前はどんな仕事をしてましたか?」
「……公務員です」
「…………え、もったいない。何でやめちゃったんですか?」
「……えー色々、ありまして……」
「……そうですか」

こんな会話をしたことを鮮明に覚えている。

それから数日たち、指定された工場に行き、朝から晩まで働いて約8000円近くもらうという生活。慣れない重労働に体がバキバキに筋肉痛になった。

「お金を貰うってこういうことなんかな……」と少しだけ気付く事ができた。今までは月末になると給与が振り込まれていたが、派遣は違う。自分から動かないとお金がもらえない。

クタクタになって家に帰り、妻は数ヶ月ぶりに働いたあとの自分の話を嬉しそうに聞いてくれた。妻としても働いているという事だけでも嬉しかったのかもしれない。

ただ今後の人生を考えた時にこれも長続きはしない。自分が何をやりたいのか、どんな人生にしたいのかを考えた時に出てきたのは「小学校の担任の先生と遊んだ時に見た夕日」だった。「あの時見たいな体験をやっぱりもう一度、子ども達と一緒になってやりたいな……」。そう率直に思い始めた。

そんな中、事態は急速に動くことになる。小学校の時の担任の先生が隣町の市の特別支援学校で働いているという情報を得る。

「会いたい。久しぶりに会って今の自分の事を話したい。」先生に会えば何かが変わると思えた。

そして、数ヶ月…………
次回に続く。

サバンナの夜明け③

退職後、私は朝、仕事に行く妻を見送り寝る。その頃は完全に昼夜逆転していた。夕方まで寝て、妻の帰る時間が近づくとそれとなく野菜を炒め夕飯を作る。そんな日々が続いていた。

その日も夜、寝ようとしたが、寝られず。何となく外を車で走ろうと思った。真冬の明け方4時、あてもなく車を走らせた。河川敷きに着き、坂を下って降りる。
エンジンを切り、ぼんやりと外を眺めていた。「何してるんだろ…俺って本当にダメなヤツだな。これからどうやって…」と白い息をはきながら思う。

目の前には木々が並ぶ、ただの河川敷。次第に朝日が登り始める。

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その時、朝日に照らされた木々が何処と無く動物に見える。

「あれ、ゾウぽくないか…。あれは、キリンみたいだ」とまるで、サバンナを悠然と歩く動物に見えてきた。あまりの眩しさに、美しさを覚え、時を忘れて眺めていた。



「ここから、俺もまた歩き出そうか。」少しだけそう、思うことができた。毎朝、見るのも憂鬱だった太陽がこんなにも綺麗な存在だと気付くことができた。
今になってみたら、当たり前のことだけど、当時は、無気力で生きている意味を見出だせなかった。明日も朝陽を見てみようかな。と少しだけ前向きになれた。


エンジンをかけ自宅に車を走らせる。…とその前に朝食を食べようとすき家に入る。並盛の牛丼の甘い味がする。

「あー俺、生きてんだな」って思えた。